浜童の道程

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思い起こせば入社20年を超えてもうすぐ25年。
起伏に富んだかどうかは不明だが自分なりの人生を刻んできた。
ハァーとため息をついてここまでの人生を振りかえってみることにしようかな。

幼少期川崎で生まれたらしい。 物心が付いたときは横浜市今の住まいにいた。
喘息でよく呼吸困難を起こしたことを今も覚えている。

身体をくの字にしてゼーゼーしていたな。
小学生まあ、比較的勉強はできたかな? ピアノに英会話、塾とそれなりの教育を受ける。
レベルはそれほど高くは無いにしても、坊ちゃん学校で有名な私立中学(幼小中高大学までの一貫校)に行こうかなと思った。 が、結局、地元の公立中学へ。

身体は低学年のうちは相変わらず喘息でそれなりに苦しんでいたけど、高学年にはいつの間にか治ってた。
中学生この辺から反抗期で、親が勉強しなさいと言うものなら、勉強はするなと翻訳してしまうほど勉強はあえてしなかった。
おかげで成績は真っ逆さま。よくクラスでいる、あいつ、頭悪いなあというやつ。 それが私、浜童であったのである。

都合の悪いことは忘れるけど成績は1と2でたまに3というところだったような気がする。 高校生当然のごとく、県内で無名、ある意味で有名な落ちこぼれ校に入学。
ところがここで気がついてしまう。 家庭の中では大学までは親の義務という空気。 
まあ、大学までは行かないとなあとは浜童も思っていた。ところがこの高校のレベルとは想像以上のレベルの低さ、つまり学業に関しては阿保馬鹿高校なのである。

入学試験は3教科で1教科20分、小テストと同じなのである。それも校長曰く、今年から競争率が上がって英語を1教科追加したというから驚嘆に値するほどなのである。
また、入ってから知ったこの衝撃。中間期末テストの数学は因数分解、2次方程式、日本史は漢字の書き取りと読みという始末。
それでもクラスメートのテストの点は8点が続出、俗に「笑顔でエイトマン」と騒いでおりました。

休憩時間にトイレに行く廊下は雀の巣みたいな頭、リーゼント崩れのあんちゃんが両サイドでたむろしている。 ああ、これじゃ高校で勉強をしていたら絶対大学には行けないと悟りました。

浜童の父親は都内大手町界隈の某都市銀行に勤めておりまして、当時は気がつきませんでしたが結構良い生活をしていたみたいです。
で、授業料の振り込みを母親が父に頼みましたが、親父はそんな恥ずかしい所(高校)に振り込みするのは嫌だという始末。
ちょっと寂しかったのと悔しさがあったために何とかサバイバルがスタートできたのかもしれない。 まあ、自分を取り巻く劣悪な高校生活環境はあるも、それでも今でも付き合っている生涯の友もできたので勉強がすべてだとは全く思っていない。
ただ、大学には行けないと感じたのである。とりあえず大学受験3教科に絞って特に基礎力のかけらもない英語から勉強をはじめる。

元々低レベルからスタートなのでやる気になればぐんぐん伸びる。 学校を逆にさぼりながらも予備校に行くこともあった。 それでも遊びましたけどね。大学受験は6校受けて2校合格。ただ、本命は努力不足と思いつつ合格率50%あたりの大学も落ちて、ショックを受けた。
浪人も考えたけど勉強する気がなくなっていたのも事実でそのまま大学に入る。

高校の先生は逆にほめられた。 「君は実力あるんだなあ」と、いや、、、感謝してます。

大学生活もう、のびのび、はつらつ、勉強全くせず、成績はCだらけ再履修もちらほら。
でも読書、白樺派新理想主義、武者小路先生との出会い、初めてのバイト、彼女、初○○等、青春を謳歌。

良い思い出苦笑いの思い出もいっぱい。あっという間の4年間。 就職今の会社の就職面接試験でのエピソード。
ちなみに某業界大手の1部上場会社なのである。
常務取締役人事部長と浜童との面接の際、普通は最初に当社を選んだ理由とか大学時代の成績生活目標等を聞くところ、履歴書を見て開口 


         「君は何であんな高校行ったの?」 


えーなんでそんなこと聞くのと思った。が、後でわかったところ常務は浜童が卒業した高校と同じ町に住んでいたのである。
質問に対しては先に高校生活のところで述べた内容を脚色しながら言うと

             「うん、正しい判断だったな」


とほめられてしまった。 
大学の成績はCだらけなのに。もう一人最終役員面接まで同じ大学の同じ学部学科のひとがいたのである。
彼は成績優秀Aだらけの柔らかな好青年で、元々勉強、成績には劣等感がある浜童は「俺も採用してくれないかなあ」とマジで思っていた。
事実負けたと思っていた。ところが浜童が内定、かれは落ちたのである。本当にわからない。その時はふるえた。 不思議だあ。

サラリーマン比較的順調に来たような気がする。昇格試験は主事補(主任係長級)試験は学科1発、面接1浪、主事(課長級)は1年特進してもらったけど2浪(この時は怒られた。特進の意味を知ろと。)

資格副参事は1発、今回次長職初上申で次長になる。
もちろん昇進は営業成績等がクリアしないと難しいが、20億投資したシステム開発の1つのカテゴリ・リーダーを任されて、2年かかったけど昨年6月にカットオフ、スタートさせた。
この辺がアピールできたようだ。

勉強、高校のコンプレックスは今もあるけどある意味この反動が気持ちいいときが多い。
以前、支店総務の女の子が

「えー課長、○○高校なんですか。まるで総理大臣になった気分でしょ」

本当、口が悪いけど、まあそこまでは極端ではないけど。何となく言いようのない快感もあるようだ。
人ごとのようだが。4月に昇格になってからプレッシャーに参っている。いきなり20人を超える部下。
んー何となく力みすぎてる。もっと肩の力を抜かないと。このブログで息抜きをさせてもらおう。疲れたので、入力ストップ。