Mattery 日週月記浜童家の家系 こ、こ、これは仁か!!

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浜童家の家系 こ、こ、これは仁か!!

土曜日の掃除予定があり、朝9時過ぎに帰り、食事後に1階の掃除をしてましたら、濱童家の家系図と祖先の名前の藤沢(当時は鎌倉?)の郷土史の史書のコピーが見つかりました。
恐れ多くも郷土史に載る由緒ある家系とは驚きでロードバイク乗って事故っている場合じゃありません。(笑)

以下、抜粋引用

20.文中先生の墓、平氏満の墓

文中先生は慈眼寺の下に屋敷があり医業の傍ら寺小屋式の学問を教えていた。村岡地内に門下生として高谷鈴木太吉、弥勒寺永井由蔵、渡内石井藤吉氏がいる。この鈴木太吉氏外宮前の林重太郎、渡内の福原藤太郎も同じ門下と聞くがさだかではない。いづれにしても弟子一同が文中先生の碑を明治9年に建て弥勒寺に永代施餓鬼料を寄進、今でも毎年盆には2本の塔婆が上げられている、この先生の細君が福原増三さんより嫁がれている細部は今後の調査にしたい。
------------引用終わり---------

へぇ-、まるで江戸時代の医業なんてまるで 「仁」 みたいだ。
それで家系図を見るとこれがまた複雑で、先生からずっと見ていくと、養子縁組とか家督相続とか、はたまた養子縁組するが離婚とか、記述がないですがどう考えても、愛人?お妾さん?の子孫とか?お盛んなご先祖様もいたようで、、、。困りましたな。
で、濱童のおじいちゃんや父に行き着くということで、濱童が直系嫡男で我が家の長男がそのまた子供となるようです。しかし、墓守は濱童家では無くて上の方の女性家系の末裔がお墓を守っているそうです。もちろん親戚になるのですが、顔も何も知りません。

藤沢道路区画事業に引っかかってお墓の仮引っ越しになり、役所から家系図(役所で作ったか?)から関係者に連絡があり、役所、慈眼寺ご住職、当時の父や父の弟、その関係者(親類)が集まり、墓を掘り起こして、仮住まいに移設したようです。お墓には6体とか7体が掘り起こされたとか聞いた記憶があります。
まじまじ見ながら、直系の濱童おじさんは身が引き締まるも、こんなユルユルで文中先生はさぞ怒っているだろうなとか、悪い友達と付き合っちゃいけないと、今日だけ心に決めました。(爆笑)
悪いお友達? そうそれは ですよ。(笑、失礼)

でも不思議、こうなると文中先生は江戸時代どこからどう生まれてきたか、この人生も探してみたいですよ。後の将来、濱童おじさんのこともわかりやすいように記録に残しておこうかな。
だれも見る奴もいないどころか、ゴミで出されちゃいますね。(笑)

終わり。
not to be continued.

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